ウチのカミさん中国人 ~毎日が異文化~

国際結婚したい人の夢を壊さないといいな。国際結婚の現実、いいとこ悪いとこ盲点、みんなお話しします。

〝昭和〟は国際結婚しても離婚する

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はい、またまた主語を大きくして物議を醸す発言ですが。昭和生まれのヤンメイです!

最近、幼なじみと話していたら、羨ましいくらいガチガチに昭和でした。それは全然構わないのだけど、多分この昭和の田舎の価値観では国際結婚したらほぼ離婚だろうな、と思いました。

それと同時に、国際結婚の高い離婚率(約半数?)の理由も理解出来た気がしました。それは昭和脳だから!昭和の田舎の価値観と国際結婚というのはどうにも合わないんですよ。

共にバカなイタズラをしながら育った彼との間に、いつの間にこんなに大きな価値観の隔たりが出来たのか。今回は国際結婚を成立させる秘訣についてのお話。

九州の田舎の価値観

ヤンメイとその友人Aは小中学校の同級生でした。たまたま同じ地域に住んでいたこと以外に、ヤンメイは父が、Aは母が共に九州人だという共通点がありました。

九州と言えば男尊女卑です。男性優先、男子優遇、そこに合理的な理由はありません。強いて言えば伝統です。加えて、家父長制度も色濃く残っていて、親は絶対、父は絶対!大切な子供は長男!という土地柄です。

最近の自由溢れる都会人にはピンと来ないかも知れないのでデジタル大辞泉から引用すると

家父長制度

父系の家族制度において、家長が絶対的な家長権によって家族員を支配・統率する家族形態。また、このような原理に基づく社会の支配形態。

とあります。つまり、父とは昭和のサザエさんでいう波平さんとか、巨人の星の星一徹さんみたいな存在。分かるかなぁ。

理由、理屈はなく、父がこうだと言うとそれはもう決定。黒いものも父が白と言えば白。いや、父さん、それ白じゃないですか?とか口が裂けても言えない空気。大体、そんな感じです。

悪いことではありませんが、とにかく父とか長男とかはエコひいきの対象で、代わりに家長には家族、一族に対する責任や義務が生じます。

これは九州に特有の空気か、全国的なものなのかは知りません。ただ、多かれ少なかれ田舎には共通する空気かと思います。

断っておくと、昭和限定の昔話ではなく、現在でもこうですからね?もちろん、徐々にゆるくなってはいると思いますが、平成も終わろうという現在もこうした価値観で育てられた人は田舎には珍しくなく、社会の中核をなしています。

まだ最近の熊本で

数年前、友人達数人で九州の友人宅に泊まりに行った時のこと。貸別荘を使っての宿泊だったので、結婚している者は妻を、彼女持ちは彼女をそれぞれ伴ってのレジャーでした。

朝ごはんの時です。ホスト家の母が「朝ごはんの用意をするから手伝って」と声を掛けました。「は〜い!」と準備に立ち上がったのは全員男性。すると「男衆(おとこんし)はいら〜ん!」と怒られて追い返されました。これにはのんびりしていた女性軍がびっくり!慌てて台所に駆けつけてました。

基本的に参加者は首都圏育ちの者が多かったので「台所仕事は女性がやる」という九州の概念が全然なかったんですよね。これは、良い悪いではなく、熊本に存在した実際の空気です。

昭和のままの友人

このような価値観を持つ親に育てられた友人Aは、その価値観を色濃く受け継いでいます。長男として家長の責任を重んじ、親を重んじています。立派といえば立派。優先順位は明確に母 〉妻 です。嫁、姑にトラブルがあれば、理由も聞かず、まず「お前が悪い!」と嫁を叱ります。

もちろんAはどちらが悪いのでもなく、また母が悪い場合があるのも分かっていますが、姿勢として母を重んじるのです。なので、後から妻に謝り慰めることもしばしばありますが、まずは立場上、嫁を叱り母を立てるのです。

これには、Aの子供の頃に両親が離婚し、母親1人の手で育てられたので、余計に母への愛が深いという事情もあるのですが。それにしても見事に昭和です。

さらに、仕事においても家庭は二の次。男はまず仕事に邁進するべし!妻は家庭を持ち出してその足を引っ張ってはならぬ、と固く信じています。実際、職場に泊まり込みで2週間くらい家に帰らないのも珍しくはありません。

幸い、奥さんも元々は同業者で、Aが妻をないがしろにしているのではなく、タイミングによりそういうこともある職種だと理解してくれているので良いのですけど。

正直言えば羨ましいです。なんていうか、防衛をアメリカに丸投げして、経済だけに邁進できた頃の日本のような、いっそ清々しい偏り方がめちゃくちゃ昭和的。

国際結婚夫婦の正解

これ、今の国際結婚夫婦がやったら完全に離婚案件です。擬装結婚とか、永住権欲しいだけの愛のない名目だけの夫婦ならこれでも良いのかも知れませんが。

家族と一緒に過ごせない者が、なぜ結婚をするのか?

というすごくマトモな、ぐうの音も出ない反論に遭うでしょう。

軸足を仕事に置く人生もそれで構わないが、そういう人は仕事に生きるべき。結婚しても家族に軸足を置かないのなら、家族を持つべきではない。特に、わざわざ外国人を請い求めて家族に迎えようとするならば、当然家族として共に過ごすべきだ、ということです。

同時に、行き過ぎた家父長制も国際結婚夫婦には馴染まないでしょう。そもそも、相手にはその価値観がない可能性が大です。

仮に、相手がそれを理解できる文化の持ち主だったとしても。相手が自国を離れて結婚を続けているならば、相手は常にアウエーで暮らしているのです。家族共々日本に移住しているならば別ですが。まず、第1の味方は夫(妻)でなければ、これほど心細いことはありません。

それこそ人として、自分との生活を選んでくれた相手を最優先で守れ!ということです。

これが出来ないと、相手は結婚して異国にいる理由を失くしてしまいますからね。

というか、そうした理由から離婚してしまった国際結婚カップルというのは、昭和から相当数いたんじゃないか、と想像します。

やはりマイノリティ

では、なぜAと同じく昭和から平成に育ち、九州人の父に育てられたヤンメイは、昭和九州的にならなかったのか?

やはり、これは育ちに関係するのかと。というのは、ヤンメイ父もまた〝昭和生まれの明治育ち〟と言えるくらい封建的な人でした。ですが、父は継子いじめにあって長男でありながら早々に実家を飛び出してしまった人なので、家長の責務とか家の縛りからは自由に育った人だったのです。

もっと言うと、辛い目に遭ったせいかそうした風潮を嫌っており、ヤンメイ家は跡取りなし!残す財産は教育のみ!とヤンメイは生まれながらに廃嫡だったのです(笑)。

むしろ弟とも同列で、ヤンメイは年こそ上ですが、家に対する長男の責務というものを一切感じないで育ちました。そもそも守るべき先祖の田畑も墓も一切ないですし、子の世話にならない代わり財産は子に残さず使い切る!と宣言する両親でしたので。そうした圧力とは無縁に育ったのです。

なので、ヤンメイの中に家父長制をはじめとする九州的な文化はほどんど伝わっていません。親はずっと自動的に親だからそこまで大切にしなくても大丈夫だけど、妻は自分で家族に選んだ人だから大切にしないとダメ、という血のしがらみのない、実に国際結婚向け(?)の性格です。

そう言った意味では、やはりどんな家族思想を強く持っているか?というのは、育った家庭に大きく影響されると思います。その辺は国際結婚をする上でとても重大な要素ですよね。


ヤンメイのように実の家族にあまり思い入れがないのもどうかと思いますが、Aのようにあまりに実家向きというのもよろしくないな、と。仲の良い国際結婚を実現するには、あまりガチに昭和だと難しいのではないか?というお話でした。