ウチのカミさん中国人 ~毎日が異文化~

国際結婚したい人の夢を壊さないといいな。国際結婚の現実、いいとこ悪いとこ盲点、みんなお話しします。

同窓会に出て、教育とその効果について考えてしまった

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先日、同窓会に出てきました。そこで、懐かしい、変わらない人々にあって色々考えてしまいました。

これについて他の人はどう思うのかな?

今回は、大切な教育って何なのさ?というお話。

同窓会あるある

イメージなんですけど、中高年の同窓会で「いや〜、◯◯さん本当変わらないよね」みたいなセリフ、出そうじゃないですか?

若い頃から、オジさんオバさんの同窓会でこういうこと言い合ってるのってどうなの?と思っていて。

 

いや、変わらないはずないだろっ!?

 

なんか老け合った事実を認めないというか、イメージビューで現実が見えてないというか。そういう大人を見苦しい、とさえ思っていました。

そして、ヤンメイ自身がオジさんになり、25年振りの同窓会に出て見ると…

なるほど、思った通りのところと、思っていたのと違う発見と、両方がありました。

いや、変わってるだろっ!

やっぱりありましたよ、「変わらないよね!」発言が。予想通り!いや、どー見てもね、老けてる訳ですよ、皆さん。参加者はほぼ40代半ばなのですが。中でも数人は完全に重力に負けて顔が垂れ下がっているのです。肥満とかね、明らかに分かる程度に太ったなぁ、という人は少なかったのですが。重力には勝てません。

別にいいんですよ、垂れ下がっていても。キムタクだって、最近はさすがに年齢を感じますし、歳を重ねればそれが当たり前です。

でも、それが見えないかのように「変わらないよね」を連発するってどーなのか?願望が強すぎるのか、老いを認めたくないのか?ヤンメイからすると、みんな確実に変わっているんですけどねぇ。さすがに、そういうことは思っても言わないですけど。なんかそういうノリに乗り切れないでいました。

確かに変わらないわ!

でも、その後の展開で、各自が近況報告スピーチをする時になり、「なるほど、変わらないわっ!」というところを発見しました。

なにしろ25年振りの人もいますからね。重ねた歳月の分、成長があります。役職に就いて多くの部下を指導してる人、ひたすら職人として技能を研き続ける人、主婦として家事育児に専念する人、フルマラソンを始めて体力の向上した人。

それぞれのスタイルで、若い頃には出来なかったことが確実に出来るようになっていました。

ただ。喋り方、立ち位置、キャラクターみたいな、その人の本質的なところ、何が出来る出来ない以前の、その人らしさというのは悲しいくらいに変わらないのです!

以前、ダメキャラだった人は25年も経つのに、未だにダメキャラなのです。昔よりずっと色んなことが出来るようになっているはずなのに、その人らしさを感じさせる要素って、良いものも悪いものも、ほぼまんま同じなのです。

もしかしたら、人はある集団に入ると、かつていたポジションや位置取りを行い続ける、つまり、キャラ替えや立ち位置の変更をしないという習性でもあるのかな?そんな推察をしてしまうくらい、「みんな変わらない」のでした。

もちろん、ヤンメイも主にダメなところをそのままに(笑)、変わりませんでした。確かに人は変わらないし変われませんねぇ!

能力と幸せ

さて、そんな変わらないっぷりに触れて考えてしまいました。人生そんなに間口を広げなくてもいいのかな?それでも幸せになれるよな?と。

ヤンメイ、若い頃は色々出来ることを増やしたかったです。器用にたくさんのことをこなす友人を尊敬し、羨ましく思ってました。

でも、25年経って彼らとの差を見てみると、手にしているもの、その成果は、当時の能力差程に開いてないんですよね。

もっというと、当時、ヤンメイより何倍も優れて見えた彼らですが、現在のヤンメイは彼らに負けず劣らず幸せなのです。比較に意味はないけれど、ヤンメイは今、十分幸せです。当たり前ですが、幸せと能力の間には相関関係はないんですよね。

ヤンメイは現在、狭い世界で生きています。朝から晩まで基本的にほとんど仕事しています。基本、家と職場の往復で寄り道もしません。でも、まぁまぁ幸せです。

あれもこれもと欲張らず、目の前のことをひたすら積み重ねる毎日ですけど。突出した才能はなくても、凡人だって1つのことをきっちりやり切れれば、食うには困らないし、やりたい事もある程度出来ている。そんな人生は幸せだと思えます。

是非やらせたいこと

所詮、人間は立って半畳、寝て一畳分しか場所は取らないし、1人で抱えられるものの量にも限りがあります。あまり欲張ってもいいことはありません。

知り合いに、子供の習い事を10も15もやらせる親がいました。子供がやりたいというからだ、というのが彼女の言い分です。確かに子供はあれもこれもやりたがったのかも知れません。でも、もしかしたら子供は、親が喜ぶのが嬉しいから、親の好みに合わせて、やりたがってみたのかも。

というのも、その後、その子は燃え尽き症候群になり、「疲れたからもう何もやりたくない」と一切の習い事を辞めてしまいました。まだ小学一年生で。

色々なことに触れさせるのは可能性を伸ばすこと。そう信じている親は多いと思います。それも事実でしょう。でも、可能性っていつ伸びるんでしょう?いつ花開くんでしょうね?

通り一遍ざっと経験させる程度で、可能性とか好みとかが分かるんでしょうか?最初は嫌々始めたことを続けるうちになんか型になってきて面白さを感じることとかないんでしょうか?分からないから15種類も色々させてみるしかないのでしょうか?

極端な例ですが、先の燃え尽きちゃった子は、15の習い事の中にハマれるものがなかったのか、出会い方が悪かったのか。それはいつ判明するかも親には分からないのです。

結局は運もあって。神ならぬ身の親に、子供に最適な習い事やベストな経験をさせることなんて出来ないんじゃないかな、と。

同窓会を経て、1つ何かが出来れば幸せになれるのだと悟りました。だからこそ、習い事や教育は、どうしてもやりたい(やらせたい)1つ2つに絞るのがいいのかな?と、思うようになりました。だって、正直何をやらせるのがいいのか、分からないんですもの。

そして、習い事とか教育よりも、面倒くさがらずに、親と遊びたがる短い時間を、出来るだけ全力で向き合おうと思い直しました。

ちなみに、ヤンメイは子供の頃やらせてもらった習い事で、現在も使えるレベルまで続けたものは1つもありません。それらは果たして何の役にも立たなかったのか、どこかで何かの肥しになっているのか?効果測定が難しいですね。

 

ともあれ、教育も人生も、何か1つ出来ればいいなら気が楽です。これは大きな収穫でしたね。同窓会に出て楽しかっただけでなく、得るものがあったよ、というお話でした。