ウチのカミさん中国人 ~毎日が異文化~

国際結婚したい人の夢を壊さないといいな。国際結婚の現実、いいとこ悪いとこ盲点、みんなお話しします。

ハロウィンと子育て

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今さらハロウィンについて書きます。もうね、1週間も前のイベントですから。我ながらパねぇ今さら感ですよ。ズレで言うならお正月にクリスマスの話をしている感じ。

まぁ、この本当に好き勝手に思うがままに書いていくのも貫けばルー大柴みたいにスタイルになるのかな?と。いや、なんか書く気が高まらなくてズルズル時期を逸しただけなんですけど。

2018年の自分の頭の中の記録としてメモ替わりに書いちゃいます。お付き合い下さいます?

見る阿呆でいい

ハロウィン、いつの間にか定着してきましたね。商機としてはバレンタインデーを凌ぐのだとか?チョコより仮装グッズの方が単価が高いのか、男女問わず購買層になるからか。

ヤンメイが子供の頃は、伝聞に聞くのみの遠い異国の風習でした。「なんか、外国にはハロウィンって風習があるんだって」くらいの。ヤンメイより若い妻にとってもそんな感覚だったらしいです。

それが現在では、子育て支援センターでもハロウィンのコスプレイベントをしていたり、幼稚園、保育園が仕込みであらかじめお菓子を渡しておいてた先を訪問する、など、なかば大人主導で子供の生活に入ってきています。

そして、何より大人が楽しんでますね。中・高生やもっと歳上の人々まで。特に今年は渋谷での賑わいと騒ぎが注目されました。行き過ぎた人達もいたので、結構ネガティブに取り上げられていた感が。

さて、ヤンメイもそんなマスコミ経由で興味を持ったクチです。実際に渋谷のハロウィン混雑を経験したことはありません。ハロウィンの仮装に参加しようという気も(今のところ)ありません。

でも、あれだけ話題になると「実際はどんなだろう?」と一度その賑わいを見てみたい気はします(きっと面倒で行かないけど)。コスプレをしたから、騒ぎたいから、ではなく、喧騒の熱気を見たいから、という理由で現地に行きたくなるって、まさにマスコミの効果です。踊る阿呆ではなく、わざわざ見る阿呆になりたいんですからね。ハロウィンの渋谷を賑わしているのって、一定数ヤンメイのような野次馬が混じっていそう。

まぁ、実際、渋谷が職場の方の証言では、ハロウィン数日前から目に見えて駅の近くが混雑し始めるそうです。

平成ええじゃないか?

そんな、自然発生的な賑わいと一部の狂乱を知って「これは平成の『ええじゃないか』だな」と思いました。一応補足すると、『ええじゃないか』とは、江戸時代にあった民衆騒乱で、人々が踊り狂ったり打ちこわし行為に及んだりしたんだとか。

西日本各地で起こっていたようなので。別に今の若者のモラルだけの問題じゃなくて、昔の日本人だってふっ切れちゃう人はいたし、みんな騒いでいるからやっちゃえ的なノリはあったんだよなぁと。なんか車をひっくり返したり、外国を思い起こした人はもいたようですが、ヤンメイの頭の中では見たこともない『ええじゃないか』と結びつきました。

コスプレネイティブの感覚

ハロウィンが注目される理由の一つとして、仮装がインスタ映えする、というのがあると思います。というか、インパクトのある絵面が撮れるので、マスコミも参加者も分かり易くて話題にし易い。

この仮装というかコスプレって、今の子には完全に市民権を得ています。ハロウィンだけじゃなく、子供のおもちゃとしてディズニープリンセスやプリキュアの衣装が普通に売っているし、写真スタジオなんかでも選べる衣装の中に豪華なドレスだけでなく、コスプレ服は定番で入っています。

その他にも割とコスプレで遊ぶとか楽しむ機会が日常に多くあるように思います。つまり、今の子供達は生まれながらにしてコスプレ慣れしているコスプレネイティブな訳です。

でも、面白いことに。そんなコスプレネイティブのヤンメイ娘も、普段からプリンセスのドレスを着て外出したいとかは言い出しません。子供ながらに日常と非日常の区別があって、「日常の中にあの衣装はナイわ」と理解しているのです。

コスプレを日常的に捉えられる子供が、コスプレの非日常性を理解して線引きをしているってなんか面白いですよね。

日常の境界

ヤンメイの中で非日常の原初体験って、ディズニーランドな気がします。初ディズニーで西部劇風のコスプレ写真を撮った、というだけでなく。なんかあの中って、ミッキーの耳を付けたり、海賊の帽子を被ったりして歩いてもいいっていう、異空間的な感覚がありました。「あの中ならそういう非日常的な格好も許される」みたいな雰囲気がある。

ハロウィンの時期の渋谷も、集う人達にとっては似たような感覚なのかな?「この時期の渋谷なら仮装をしてハメを外しに行ってもオッケー!」みたいな。

別に誰が許可した訳でもないですが、参加者はそうした「ハロウィンの渋谷=羽目を外しても許される場所」として認定しているんでしょうね。

土管の空き地に変わるもの

ヤンメイが子供の頃には、近所に「ドラえもん」の作中でのび太達が遊ぶ、土管の空き地のような管理者不在の土地がありました。公園での木登りも咎められることはなかったし、回転するジャングルジム(名称不明)に捕まってスゴい回転をかけて遠心力を楽しむ、という現在では安全管理上許されなさそうな遊びも普通に行われていました。遊びの自由度が高かった訳です。

ところが、現在の子供を取り巻く環境は違います。都市部の公園ではボール遊びが禁止のところも多く、遊具も廃止され、本人にも他人にも危険そうな遊びはやり難いのです。住宅街の道路も交通量が多く、遊び場には向きません。サッカーや野球のチームに入るという方法もありますが、好き勝手に遊ぶ場とは違います。

つまり、管理されているのが当たり前、大人の干渉下にあるのが当たり前、というのが子供の置かれた環境です。危ないことは、あらかじめ「危ないよ」と教えてもらえる環境と言えます。ですが同時に、「どこからが危ないのか」を経験出来ない環境、とも言えます。

そんな環境では、危険を回避するとか自律的にルールを作るという経験や能力は磨かれないまま成長しそうです。親としてはなかなか心配。

ハロウィンで暴れ過ぎちゃう人達って、日本人に元々ある「赤信号みんなで渡れば怖くない」という習性を持っているだけじゃなくて、残念ながら上記の学習をしなかった、出来なかった子供の成れの果てなのかなぁ、と思えて。

なので、これからの世代には公園などの整った環境ばかりじゃなくて、ただの空き地とか荒れ地みたいな、管理者不在の環境での自由放牧を経験させたいな、と。これをやったら痛い。じゃあ、もうやらない。または、こうやったら痛くないとか。そんな学習をして欲しいのです。これは大人の放任力も試されるんだけど。まずは手の入っていない場所を用意しないとですかね。人口減少社会ならやり易くなるのかな?

 

そんな、ハロウィンを見て感じたこと諸々のお話でした。