ウチのカミさん中国人 ~毎日が異文化~

国際結婚したい人の夢を壊さないといいな。国際結婚の現実、いいとこ悪いとこ盲点、みんなお話しします。

日本人と中国人、何に残酷さを感じるのか

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先日、妻と一緒にテレビを見ていたら、首を切り落とした半身の魚が出てきました。いわゆる、三枚におろした魚の身の部分(の片側)ですね。

それを見た妻は、その映像を残酷だと思ったみたいです。いやいやいや、羽をむしられた鳥がまんまの形で燻製になってるのも結構残酷じゃないですか?

このお互いが残酷だと感じるポイントの違いが、まさに文化の違いだったのです。今回はそんな、日本人と中国人は何を残酷と感じるか、その違いについてのお話。

三枚おろしは残酷?

ヤンメイ妻、魚が大好きです。自分でさばいたりは出来ませんが、煮魚、焼き魚、揚物はもちろん、寿司、刺身も大好物です。粕漬けとかも好んで食べます。

でも、三枚におろした半身の形を残酷だと思う感性はあるみたい。ああした、首を切り落としした形というのは抵抗を感じるのだそうです。

ヤンメイ妻曰く、首と胴体が離ればなれ、というのが特にイカンのだと。どうやら中国人的感覚ではそういうことのようです。

確かに、言われてみれば、向こうでは魚とかも丸ごと煮たり揚げたりした料理と遭遇する機会が多かったような?海老とかも丸々(姿のまま)出てきて、食べる際に皮を剥いていたような?あれは美味しいからってだけじゃなかったの?

そういうことじゃなくても、「身体にどこにも欠損がなく揃った状態が良い」という感覚はあるのだとか。

鴨肉の吊るしは?

いや、正式にはなんていうのか知りませんが。中華街にいくと、鴨を丸ごと一羽、芳ばしく焼いたお肉をぶら下げてある光景が見られます。

これは中華街に限らず、ヤンメイ妻の故郷でも、冬など正月支度の一環として普通の民家で首付きの鴨が丸ごと干してあるのが見られます。どの家でも作る訳ではないかも知れないけど、それほど珍しい光景でもありません。つまり、ちらほら鴨肉(鶏肉?)が干してあるのです。

最初びっくりしましたよね。街中で洗濯物に混じって鴨がぶら下がってるんだから。猫とかカラスとかいないから出来るんだろうなぁ。

ともあれ、ビジュアル的にはなかなかインパクトのある景色です。日本人の感覚からすると、〝グロい〟と感じる人がいても納得出来ます。おそらく、三枚におろした魚より、こっちの方が気持ち悪い、と騒ぐ日本人は多い気がします。

でも、これは中国人的にはありな光景です。なるほど、首も付いてるしね。

食べているものの原形

首(頭や顔)がないと、大分生き物って感じが少なくなります。そこからさらに部分に細分化されていくと、さらに生き物の感じは薄まりますよね。

でも、命をいただいて食べるのに、原形が分からなければ平気、加工されていてより製品っぽければ大丈夫、というのも現実から目をそらしているだけ、という気がします。

とはいえ、中国で放し飼いの鶏を締めてくれた時も、歓迎してもらってるのは十分理解していたけど、今まで動いていた温かい鶏が〝肉〟になる光景はけっこう衝撃がありました。誰かが代理でやってるだけで、常に行われている事実なのに。

素直に命に対する感謝だけではない、恐れみたいなものも感じてしまいました、正直。だって、血が温かいんですよ。当たり前だけど。いや、後で美味しくいただきましたけどね。

ちなみに、そのように鶏を締める、という行為。お義父さん世代だと割と出来るけど、ヤンメイ妻とかはもう出来ないみたい。日本ではどうなんでしょうね。ヤンメイ父は養鶏をやっていた田舎の出身なので出来たかも。当然ヤンメイはダメです。

人が生理的にダメ、とか思っているものも、実は後天的な学習や、社会の因習を身に付けるうちに、備わってしまうものなのかも知れませんね。要は単なる慣れなんでしょう。見慣れていれば大丈夫、的な。

 

なので、どっちが残酷だ、というのはないけれど、見慣れていないものには違和感を覚えるんだ、と。そんな、ビジュアル的には中国人は三枚おろしが苦手で日本人は首付き鳥が苦手という差があるのって面白いよね、というお話でした。えっ?面白くない?