今回、2019年のプリキュア映画、感動するし、良い話だし、心を動かされます。無責任に言うなら絶対映画館で観た方がいい。
けど、心に届き過ぎてちょっと平穏でいられなくなる危険があるので、手放しでオススメは出来ない。そんな映画でした、ヤンメイにとっての「映画スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」
今回はウチカミ史上最長の感想文です。ネタばれ満載ですが、もう公開から1ヶ月だしいいよね。一応お断りをば。
興味のない人はまた次回の宮古島旅行記でお会いしましょう。単なる狂人の妄想です。冷静に考えると、ヤバいのはスタプリ映画なのかヤンメイなのか?
映画スタプリは心がひりひりする
「映画スター☆トゥインクルプリキュア 星のうたに想いをこめて」を観てきました。感動しすぎてそれ以後、日常生活を送るのがしんどい、半ば廃人的な精神状態になってしまいました(笑)。
まだね、仕事をしていたり家族と一緒に過ごしている時はいいのだけど。1人の時間には感受性上がり過ぎてしまい、色々なことが心に響き過ぎるんですよね、良くも悪くも。
本当、そこまで心を揺さぶる作品です。「出会い」と「別れ」と「成長」の物語です。
思い返せば、少年ヤンメイは「別れ」の苦手な子供でした。可哀想に思えてトイレでう〇こが流せなかったり、〝大きなのっぽの古時計〟や〝グリーングリーン〟などの童謡が悲しくて歌えなかったり、夏休みで泊まりっこをした従兄弟達が帰ってしまうと寂しくて寂しくてしょうがなくなったり…。
当然、そんな感性のまま毎日を過ごすには辛すぎるので、大人になったらいつのまにか、無意識に感受性にフタをして過ごしていたようです。それは若き日に「打たれ強くなりたい!」と願った姿に成長していたのではなく、なんとなくやり過ごせるようにフタをする術を身に付けただけだったんだなぁ。自分は何にも変わっていなかったんだなぁ、と。そんなことに気付かされました。
心を裸にさせる映画とか童心にかえらせる映画と言えるのかな?
おそらく、これには他人様の感想と音楽の2つが凄く影響している気がします。
後からジワる
先週、娘を連れて行った時の感想としては、まぁ普通の感動。すでに見た人達の反響がすごく良くって、勝手にハードルを上げて行ったせいかな?別れは切ないし、映像的にもとてもきれいだけど、正直泣けなかった、ヤンメイは。
ですが、なんか損している気がしてね。愛読しているブロガーさんの感想を2件調べて読んだのです。
2つとも心に響く、優しく深い感想文でした。
その後、映画のテーマ曲「TwinkleStars」を聴いていたら、不意に涙がこぼれてきました。それから、心にぽっかり穴が開いたような気持になり。それを埋めるように曲を何度も聞くうちに、どんどん涙が溢れるようになりました。
なんなの?これ!?
いや、覚えはあるんですよ。確か、春ごろにもプリキュアのCDを聴いていてそんな現象がありました。当時は、歌詞に感動して泣いているんだ、と気付くのに時間がかかりましたけど。2回目なので理解は早かったです。「あぁ、また自分はプリキュアに感動しているんだな」と。
これは、あきらかに上記2つのブログ記事の影響です。これらによって、より歌詞の意味と描かれていた物語の意味が深く理解できたので、それが感動を生んでいたんです。
映画製作者の方がこれを読んだらがっかりなさるかも知れませんね。俺達の映画は解説がないと心に届かないのか?と。いやいや、きっとそんなことはないのですけど。鈍い人はいるのです。第三者に教えてもらわないと、自分の観たものの意味が理解できない人もいるんです。
でも、「こういうことを伝えているじゃない?」とガイドがあると、見たものの意味が全て繋がって、全然違う次元のものが見えてくる、ってことがあるんですね。
いや、こういうの初めての経験でした。ブログ、恐るべしです!!
映画スタプリ感想
だから、ここからは蛇足です。
感想とかガイドなんて上記2つで充分過ぎるくらい充実しているんですけど。今更、幾百、幾千書かれたであろうスタプリ映画の感想を1つ増やします。だって、何か衝き動かされるものが溢れてくるから。
kasumiさんは今作を「祈りと祝福」の物語だとおっしゃいました。なんと素晴らしい解釈!特に、終盤で語られるのは、いつかプリキュアから離れて成長する子供達への祝福であり、そんな卒業した未来でも心は一緒に寄り添い続けるよ、というメッセージなんだ、という解釈はめちゃくちゃ泣けます。それは同時に親へのメッセージでもある、と。
そんなことを言われてから物語を振り返ると、まるで違うストーリーに感じられだしたのです。それから再び「TwinkleStars」を聴くと、溢れる愛が迫り過ぎです!胸が締めつけられて何度も涙が溢れるようになりました。映画は何も変わらないのにね。脳内リフレインは無限地獄です。
親にめっちゃ刺さるよ
本来プリキュアは子供向けのお話です。日曜朝の放送時には、お子さんだけでテレビを見ることもあるかもしれません。でも、映画はもれなく大人が付いてきますからね。ヤンメイは今作は大人、特に親へのメッセージを強く強く感じてしまいました。というか、むしろ親へのメッセージなんじゃないか、というあり得ない妄想が湧いてしまいました。
物語は冒頭、星が寿命を終えて爆発し、新たな星の子達を宇宙に飛び散らせるシーンから始まります。未知の彼方へグングン進んで行く星の子。すでにここからして、命の終わりと始まり、親から子へとつながりゆく命のバトンが示され、星の子は未来、将来へとスゴいスピードで進んでゆく我が子と重なります。
必然的に物語はその成長へと視点を移し、星の子はスター☆トゥインクルプリキュア達と出会います。出会いは化学反応。1人では起こらないことがどんどん起こります。
成長と言えば、冒頭からオープンニングテーマが流れ、スター☆トゥインクルプリキュア達と敵、ノットレイダーとの戦闘が描かれるのですが。途中、いちいち止め絵で名前のテロップが入ります。その時のキュアスターの表情がニヤッとしていて。なんか口元に微笑みがあるのが、春映画と比べての成長とか余裕を感じてしまいました。全く余談。
出会いの当初、身構え、警戒し、硬く身を守っていた星の子は、ひかるの受け入れる姿勢に心を許し、共感します。その後、ララとも色々あって通じ合い、星の子はユーマと名付けられました。
乳幼児の子育て?
TVのプリキュアはスターカラーペンダントの力で宇宙人とも会話が出来るのですが、星の子は言語を持たないのか会話は成立しません。感覚的な意思の疎通のみ。
こんなことを考えているのかな?楽しそうだな。全ては想像。なんとなく主体は自分になってしまいます。それって、乳幼児を育てる親の感覚と似ています。
今回のスタプリ映画は一見、友情の物語ですが、ひかる達のユーマに接する態度は親のそれとも重なる部分が多いのです。
まず、受け入れてユーマを包み込むひかる。危険を心配したり、ユーマの気持ちが理解出来ないことに感情的になるララ。どこか父親と母親をみるようです。
そもそも、アイキャッチのポスター画像からして、抱きしめるように手を広げるひかると受け止めるように手を広げるララが描かれています。これは友情というより父性と母性を感じてしまいませんか?
道を敷けますか?
物語終盤、ユーマは宇宙ハンターの手に落ちてしまいます。貴重な星の子は狙う者も多く、1人でウロウロしては危ないというララの危惧も当然なのです。
実際、ユーマを守ろうとしてララはハンターにやられてしまいます。そして、大好きなララが目の前で害され、引き離されたことでユーマの負の感情が暴走します。
自らを捉えていたハンターを振り払い、みるみるその姿を暗黒の膨張する惑星へと変えて行きます。そこにあるのは混乱と悲しみ。傷つけられた柔らかい心が痛さのあまりパニックを起こしているかのようです。雷を放ち、追いかけるハンター達を含め周囲を見境なく攻撃します。それが星レベルだから威力もハンパない。
星空警察のアンは、悪い感情に触れていると悪い星に成長してしまうから我々が保護するのだ、と言っていました。でも、実際はこの通り、保護なんか出来ずに暴走させてしまった。どんなに気を付けていても親は失敗をするし、害意、悪意にさらされることは避けられない、というメッセージにも感じます。
でも、このユーマの姿は悪い星になってしまったのではなく、パニック発作のようなものです。疲ぃさんの〝ユーマのアクティブセンサーだ〟という解釈も魅力的ですね。きっと本質は一時的な混乱と拒絶なんです。
暴走を食い止めるため、プリキュア達はユーマの星に近付きます。そんな中、ひかるとララはお互いの気持ちを語り合う時間を持つのです。
「好きだったら、ユーマのこと、私達だけで勝手に決めていいのかな?って」
これこそがひかるがララのように「別れたくない!」と気持ちを表に出せない理由でした。
まず、ユーマの気持ちは?
ララのように、別れに際して、認めたくない、認められない、別れたくない!そうした気持ちになり、顔中が涙でぐちゃぐちゃになる。それって普通のことです。14歳ならば当たり前の感情です。
そこで一歩踏み止まり、相手の気持ちを考える。
ちょっと出来過ぎだろう、ひかるちゃん。
このセリフはあらゆる親をハッとさせます。ユーマを我が子の名前に置き換えたら…もう親としていたたまれない気持ちになります。
私達だけで勝手に決めていいのかな?
だって、私達だって最善のことは分かりません。正解を知りません。悪意、害意から遠ざけきることも出来ません。それは親の姿そのままです。
親にできることは、ただ、寄り添い、種を植えることだけ。今作のプリキュアのように。
愛の広がり
ひかるとララは作中、ユーマと地球上の様々な絶景、不思議スポットを巡ります。ひかるを道案内に彼女の行きたかったところを訪れ、多くの生物達に触れる旅をしました。
根本はひかるが行きたい、ひかるが楽しい旅。ですが、ララもユーマもきっと楽しかったことでしょう。同じ経験を共に過ごす。絆を深める1番の方法です。親子でも友達でも、共に過ごした月日の積み重ねが情に育っていきます。
そうして育った情は、今度はともに過ごしていない他の人にも分け与えられるようになります。大きな愛に満たされていれば分けることができるようになれます。
目の前の人に愛を分け与える。愛を繋いでゆく、広げてゆく。
そのスタートに親子の愛があり、私達に出来るのは、そんな愛を受け取って渡してゆくだけ。その為に精一杯愛する。
プリキュアのユーマへの無償の愛を見た時、不意にそんなことが人生の、命の根幹なのかなぁ、と思わされました。
歌の繋がり
では、ユーマの気持ちを知りに行かないと!
ひかるとララは雷が轟きわたる暗いユーマの星に降りて行きました。ユーマと出会い、気持ちを確かめるために。
そこで雷を受け、水没してゆくひかるとララ。半ば意識のモウロウとした中、ララは無意識にひかるとユーマ、3人で歌った歌を歌いだします。
徐々に2人の意識ははっきりとし、これこそがユーマに気持ちを伝える方法だ、と確信して歌を続けてゆく。星の中、どこにいるとも知れないユーマに手を伸ばして踊るように。
歌は宇宙まで響き、えれな、まどか、ユニも一緒に歌を奏でます。そこまでユーマとの絆はありませんが、みんなが大切にしているひかるとララの大事な存在だから。だから守る、だから伝える。愛しているよ、同じ気持ちだよ。
歌とはリズム、波動です。波は浸透するから伝わりやすいんじゃないですかね?ほかの生命にも。共鳴というか、同じメロディーを奏でることで無限の一体感が沸き上がってくることってあると思うのです。ユーマとプリキュア達のように。
少なくとも、ヤンメイはやたら沁みました、「TwinkleStars」。
プリキュアとユーマが「TwinkleStars」を歌ううち、星がその姿をどんどんと変えていきました。これって、再生とも言えるけど、ユーマが本来の自分を取り戻したというか。「聴かせてユーマの想い!」というララの問いに応えて、自らが思い描く将来の自分を現出させたんですよね。「ほら、私はこんな私になりたいんだよ!」という言葉を持たないユーマの自分語り。
それぞれの成長と通信簿
「でもなんなんだろう、この星。さっきまでと全然違う」
「これはきっと夢ルン」
ひかるの疑問にララが答えます。
最初に怯えるユーマの心を感じ取ったひかる。分からずに警戒したララ。
いつしか立場は逆転し、言葉はなくても、ララのほうがユーマの気持ちをしっかりと読み取れるようになっていました。短期間での成長とも言えます。
ひかるとララ、本編との立ち位置の入れ替わりは色々と言われていますが。短い作中でもひかるとララの立場は交互に入れ替わってゆくようです。まるで二本のらせんのように。それって次世代に伝えるDNAの二重らせんのようだ、というのは考えすぎでしょうか?
「この星はいつかユーマがなりたい星の未来のイメージ」なんだとララは言います。
その星の姿は、ひかるやララとユーマが見て回った地球の景色そのもの。様々な絶景が再現され、一緒に触れ合ったたくさんの命に満ちています。ひかる達との経験はユーマの心にしっかりと根を下ろしていました。
ひかるとララの面影を重ねた人型のユーマは、ひかるとララの前にお別れとお礼、いいえ、やはり想いを伝えるために姿を現しました。その姿で現れたことすら、ひかるとララの影響ともいえるし、似た姿をとろうというユーマの思いやりや成長にも思えます。
「地球は楽しかった?」
この星の姿を見れば問わずともわかります。でも、問わずにはいられない。
それは、〝私達と過ごして楽しかった?〟という問いであり、そのまま、いつか来る親子の別れに際して、〝私達の子供として育ってきて良かった?〟という親から子への問いに思えるのです、ヤンメイには。
これって子育ての通信簿です。親が与えた影響をしっかりと受け止め、それを手本として自分のステージへ巣立っていく。そこで命をはぐくみ、守り育て伝えてゆく。そんな親子の姿がひかるとララ、ユーマの関係に重なるようです。そして、この答えなら満点じゃないですか!親としてすべてやり尽くした感があります。
それを受けてのひかる万感の想いを込めた「きらヤバ」。もう君は立派な親だよ、ひかる!そして、天に昇り彼方に旅立ってゆくユーマ。
もうね、こうして打っていても涙が止まらないんですよ。ほとんど狂人です。
最初はちょっといい映画くらいだったのに。音楽が沁みて、親として再読解を始めたら、正気ではいられない感動!!
物語はね、それそのものに感動することもあるんだけど、イマジネーションを乗っけて自らが描く思いが心に響くものでもあるんだなぁ、と今更ながら思います。
全て大丈夫
全編を振り返ってみると、全てが必要だったんだ、という確信が生まれてきます。
宇宙には色んな場所があり色んな人がいて、主張も利害も様々です。ひかるやララのような優しい人、宇宙ハンターのような怖い人。でも、合わない者もいての宇宙。どれかだけ排除って出来ません。
別れに際して、ララはユーマに詫びます。
「ユーマ、ごめんルン。私のせいでなんか大変なことに…」
でも本当にそうでしょうか?
もし、あそこでララが別れたくないと言わなければ。宇宙ハンター、バーンがユーマをさらわなければ。ユーマがパニックを起こさなければ。
ララはわがままを言えない空気の中、仕方なしに納得のいかない別れをしていたでしょう。最後に気持ちを伝え合い、一緒に歌い共感することもなかったでしょう。えれなやさやかがユーマと深く繋がる絆も結ばれなかったでしょう。
結果オーライかも知れないけど、全ては必然。一番うまくいくように宇宙は愛で溢れているのかな?と思います。
危機、困難で試されるのは諦めない力。仲間達と深い関係を作れるよう、いつでも自分を取り戻せるよう、愛を与えて自信をつけさせること。
障害や害意を取り除けない以上、精一杯与えて信じて寄り添う。それしか他人に出来ることはありません。ひかるとララはユーマに対してそれをやりきったんだ、あの通信簿はその結果なんだ。そんな風に思えます。
それはまんま親が子供に取るべき態度じゃないですか。そりゃ泣けるさ!
これは恋に似てる
そんな訳で、映画スタプリ、めちゃくちゃ心を動かされました。もう、ナーバスで胸がざわざわしてしょうがないような衝動。なに、この思春期みたいなの。
スタプリに関わる何かに触れていると少しは落ち着くんだけど、なにかの隙にめちゃくちゃ心がさざめく。触れている間だけの安心。すぐにまた触れたい。。。
あれ?
それって恋じゃない!?
ず~っと忘れていた感情。ちょっとそれを思い出しました。なんか恋に似てる。不安で嬉しくて苦しい。
いや、誰かキャラクターに恋をしたとかじゃないんだけど。確実にスタプリ愛は深まりました。ユニ登場らへんからテレビシリーズ観れてなかったけど、慌てて追いかけよう。いや、忙しいんだけど。
推しキャラは完全にひかるちゃんになりました。大人で偉かったよ!成瀬瑛美ちゃんのファンにもなりました。
大の大人の心にここまで響く作品ですよ、映画スタプリ!鑑賞時は要注意です。
でもでも。警告しておいてなんだけど。観るならば映画館で観るべきです。あの大画面で、立体音声で、心も体も満たす環境でどっぷり浸りきって観て下さい。そして溢れる愛を感じて下さい。もし、Blu-rayとか待っていても、家の画面で観たら映画館ほどの感動はないかも。シチュエーションは大事です。
ヤンメイはもし家で円盤で観て、そこまで迫ってこなくても、もう満足です。っていうかもういいかな。この1週間泣き疲れました。
映画は映画館で!子育て的にも、映画館の非日常感って印象深いので、是非ぜひ経験させてあげて下さい。
蛇足のおまけ
ほぼこれで書きたいことは書いた気がします。まだ興奮していて分からないけど。
最後に、ずっと感じていたプリキュアの疑問が解けた、という話で終わりです。
プリキュアシリーズというのは突然やってきた妖精を助けるために変身するのだと思っていました。スター☆トゥインクルプリキュアも、えれなやまどかなどはちょっと動機が弱くない?何でそこまで思えるの?と感じていたのですが。
一時的でしょうが思春期の弱さを取り戻した(笑)今のヤンメイなら分かる気がします。
あの年頃は共感力がハンパないのです。善とか正しいことへの渇望も人一倍あり、正義感も強い。そして、行動の基準は損得より好き嫌い。そんな年頃でしたよね?14歳。
その頃の少女達なら自己犠牲をいとわず、正しい、美しいと信じた行為に飛び込めるだろうな、と納得しました。まだ何にでもなれる、なんでも選べる10代前半がプリキュアに選ばれる訳ですよね、納得、納得。
さて、春映画のブコメで、パパもハマってゆくとarrow1953さんに予言された通りになってしまいましたね。早く日常に復帰したくて、心の内を書き殴らせてもらいました。ちょっとスッキリしました。二番煎じみたいな駄文に最後までお付き合い下さった方、本当にありがとうございました。
何かの弾みでこれを目にした方が、これをきっかけに映画スタプリと出会えたら、それはきっと何より嬉しい。今日のお話はこれでおしまい。