これって何ハラスメントになるんでしょうね?
よく分からないながらも、なんかこれはセクハラと同根のヤツなのではないか?と。
いや、セクハラした訳ではないんですけどね。
まぁ、ウチカミは日記というか備忘録なので。将来また気が緩んできた時のために、自身のハラスメントを記録しておこうと。今回は、ヤンメイが愛情表現だと思っていたアレは良くないことだったんじゃない?というお話。
モンキー娘
ヤンメイ家にはターザンロープではないのですが、吹き抜けからロープが垂れ下がっています。ただ下がってるだけでターザンロープほどの可動性がないので、ヤンメイ家ではモンキーロープと呼んでいます。
そして、ヤンメイ娘がそのモンキーロープで遊ぶことをヤンメイ家ではモンキー(マンキー)と呼んでいます。例えば「おっ、朝からモンキーか?」とか「はい、もうモンキー終わりね。そろそろ寝るよ」みたいな用法です。
だいたい、ヤン娘は朝一番からブラブラし始めます。というか、ブラブラどころではなく、結構勢いをつけてブンブン動くので危ないのですがそれは余談。朝の挨拶もそこそこにモンキーをし始めることが多いのです。
そんな時ヤンメイは「おっ、マンキーメーン!」とか「マンキーメン、おはよう!」と声を掛けていました。特に深い意味はなく「おっ、坊主、今日も元気だな!?」みたいなノリです。
ところが、何故かヤン娘はこれを嫌がり、いつしか「なんでマンキーメンって言うの!?」、「マンキーメンじゃないからヤメて!!」と口を尖らせて抗議するように。
それに対して「アッハッハ、何を言ってるんだマンキーメン!?」と深く考えずに返す、というのが一連のパターンと化していました。昨日まで。
ある時代の価値観?
これと全く同じ構図にヤンメイ覚えがあります。
ヤンメイの父はヒゲの濃い人だったのですが、幼少期、そのヒゲの伸びてきた顔でほおずりしてくるので「痛いからヤメて!」とよく抗議していた覚えがあります。
または、叔父に「はい、一緒に昼寝しよう!」とギュッと手足を抱え込んでの強制昼寝に誘われ、こっちは寝たくなんかないので「ヤダヤダ、寝ない!」と必死で脱出したりとか。
子供が必死で「ジジイ、離せよ〜!」とかムキになったり、口を尖らせたりする姿を見るのが可愛い、という愛情表現なのですが。ヤンメイの生育環境では大人あるあるでした。今はどうなんでしょうね?
まぁ、これって普通に愛情表現の範疇として、何の疑問にも思わずやっていたのですが。
ですが、唐突に、実に唐突に。これって娘の嫌がることを喜んでやる、嫌なオヤジなんじゃね?と思ったのです。
ブーメランは誰にでも
最近のアメリカでの黒人差別批判とか、伊藤詩織さんの名誉毀損訴訟などを見ていて気付いたことがあって。あれって、黒人差別を批判する人が同時に中韓差別をしていたり、伊藤詩織さんに味方する人が同時にその訴訟相手にかなり汚い言葉を投げ付けていたり。
なんか、自分が声高に批判することって、ちょっとパターンの変わった形で自分自身でやってることが多いんじゃないか?と自分を疑い始めたんですよ。
そうしたら、ヤンメイ自身も娘が嫌がることを嬉々としてやっていた、と。
動機が愛情に基づくとか、程度が軽いとか、親子という関係性があるとか言い訳はあります。「まぁ、大したことじゃないよ!」とか「うかうか冗談も言えないじゃないか?」と自己弁護が頭をもたげるんですけどね。
でもヤンメイは「相手(人)が嫌がることはしちゃいけません!」と教育してきましたから。自分はどうなんだ?という話です。一貫性がない。これはいけないです。
しかも、本人は「やめて!」「なんでそんなこと言うの!?」と都度都度抗議してきた訳です。実はこれも教育通り。「イヤなことをされたら、ちゃんとイヤだ、やめて!って言うんだよ」と言いきかせていましたよ、ヤンメイ。
これ以上の抗議方法と言えば、もう叩くとかの暴力的アクションか相手が嫌がることを言い返すくらいしかないですもんね。
ハラスメントの構造
ハラスメント全てに共通するかは分かりませんが。多くの問題において、加害者は自分の行為を過小評価していると思います。そして、自身の行動を普通のこと、当たり前のこと=許されること、だと思ってるんじゃないかな?
例えば、セクハラ。お酒の席でおじさん(立場が上の人)に女性がお酌をして当たり前。その際、その女性の容姿、体型への評論、評価するのはアドバイス。その際に身体に触ったり、性的な関係を持ちかけるのは女性が魅力的だから。
今の一般的な感覚だと全て完全にアウトだけど、これが普通と思っていて「何が悪いんだか分からない」という人が一定数いるのも事実。
だっていままではオッケーだったし。
自分はこうやって育てられたし。
なんか面倒くさい奴増えたよなぁ。
こんな受け止め方してるんでしょう。いや、ヤンメイはそうでした。
それは、全部加害者だけの責任かというと、社会がその価値観を認めてきた、認めている、という背景もあるのですけど。だから余計に気付きにくくて普通と思ってしまう。
けれど時代は変わりますからね。以前はセーフだったけどこれからはもうダメ、みたいなことはどんどん起こっていきます。昔はノーヘルでバイクに乗れたけど今はダメ!みたいなもんですよ。
ハラスメントの可否ライン
じゃあ、どこまで許されるのか?ここは悩ましい問題だと思います。
何かすればハラスメントでしょ?相手のお気持ち次第なんだって?いっそ、もう一切話すな、触るな、ってなってる方が楽、みたいな極論もありますが。結局は練習と学習しかないです。
仔犬とか仔猫とか動物同士もね、遊んでじゃれ合って噛み加減を学習します。ここまで噛んでいいとか、これを超えたら遊びじゃなくなるとか練習していくみたいです。生きる上で必要なことを練習して学習するって動物も自然にやることなので、これを放棄するのは動物以下ってことじゃない?
自然にハラスメントをしちゃってる人は、その距離感を学ぶ練習や学習をしてこなかったので、下手で当たり前です。上の極論を言う人は「その練習が面倒です」って言ってるだけなので。諦めて一緒に練習しましょう。ヤンメイは自営業者なので、価値観のアップデートそのものが自衛でもあるのでなおさら切実です。
別の教育的問題
ただ、ヤンメイが親という強者の立場から自然とハラスメントしていた、と気付いて態度を改めることは良いと思うのですけど。まだ世の中はそういうケースばかりじゃないよな、という気持ちはあります。
というか、この程度の負荷もなく、ある程度大きくなるまで理不尽な目に遭うとか嫌な思いを全然しないで成長するのって、それはそれでヤンメイ娘のメンタルはどこで鍛えるのかな、という別の心配が。
世の中、良識のある人ばかり、善意の人ばかりじゃないですし。程度の問題こそあれ、意思を押し付けられることはあるので、ある程度それに慣れておくことも必要だな、とは思うのです。スルースキルも含めて。
まぁ、ウチはヤンメイ妻が中身は〝頑固な昭和のお父さん〟なので。なんとかアップデートしようとするヤンメイと、〝おかしいのは最近の価値観〟と断罪できる妻との間で、バランスしながら自分の価値観を作ってもらおうかな、娘には。
今回はそんな、ヤンメイ反省の記録でした。全てに正解とは思わないけど、今回の学習まとめ。
自戒1
人の嫌がることをしない。これくらい大丈夫はない。
自戒2
反論もちゃんと聞く。反射で否定しない。
現場からは以上です。