ウチのカミさん中国人 ~毎日が異文化~

国際結婚したい人の夢を壊さないといいな。国際結婚の現実、いいとこ悪いとこ盲点、みんなお話しします。

国際結婚のお墓問題

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お彼岸も過ぎて10月に入りましたね。ヤンメイ、風習の緩い家で育ったので、お彼岸とか忘れちゃう方なんですけど。

お彼岸に限らず、先祖の供養というのは色々考えるべき事が多いです。最近は特に生まれた土地との繋がりが薄れている人も増えてきたので、供養の型も変化しているようですが。

お墓の問題は、国際結婚家庭にも必ず持ち上がってくる問題です。お参りの習慣の違い、頻度の問題も含めて、それぞれの価値観の違いが浮き彫りになります。そうしたことが気掛かりになって、国際結婚に踏み切れない、なんて人もいるのかなぁ?

今回はそんな、国際結婚家庭のお墓問題、一例のお話。

国際結婚家庭と伝統

お墓参りって、結構お国柄が出る気がします。さすがにお骨を野ざらしにして放置、ということはないでしょうが。埋葬のスタイルも宗教によって変わってくるでしょうし、それぞれにタブーもありそうです。

幸い、ヤンメイ家は日本人と中国人の夫婦で、お墓の形も似ているし、火葬という点でも一致しています。宗教はそれこそ同国人同士でも各々に違いますが、日本人も中国人も宗教的には割とゆるい感じなので、あまり深刻な対立はないでしょう。

ただ、伝統ガチガチの、いわゆるちゃんとしたお家、旧家名家ほど習慣を守ることにこだわりそうなので、墓参のプレッシャーも強そうです。

ヤンメイの偏見ですが、ガチに伝統的なスタイルで育った人は、自国文化への心理的な縛りが強すぎて、そもそも国際結婚を選べない気がします。「違う」ということ自体が、不快だったり許せなかったり。そういうこだわりの少ない人だけが、結婚相手に「外国人」も選択肢に入れられます。

今の世では、家柄で結婚相手を選ぶというスタイルは、個人の意向や人格を無視した前時代的な価値観だと否定的に受け取られがちですけど。ある意味、生活のランクや育ち方が近しい家の人=階級が同じ人同士での結婚は、価値観が近くてトラブルが起こりづらい、というメリットもあるのだと思います。国際結婚はこの真逆ですね。

一斉お墓参りって…

そもそも、お盆のある時期に同時に休みを取り、帰省し、墓参するって、無関係の人からすると物凄く不便で不合理です。いや、当事者もそう思うのかな?

生まれ育った地域で結婚も就職もして、お墓参りも近所の菩提寺へ、ってスタイルならまだ簡単で良いのでしょうが。実際は激混み、高額な交通費での移動を強いられる人は多いですからね。もちろん、親戚や友人も同時期に集まるので顔合わせのメリットもあるのでしょうけど。合理的に考えると、いつまでこのスタイルが続くのか疑問です。

中国のお正月、春節も日本人の盆暮れと同様の高額、激混み移動を強いられます。ただ、あくまでもこのお正月の集まりは生者のイベントなので。先祖の供養という意味合いが入るお盆は、やはり外国人にとっては毛色の違うイベントなんだと思います。

ヤンメイ家のお墓

ヤンメイの父は家を継がなかったので、墓守りの義務もありませんでした。生家も両親もすでになく、地元との縁も薄かったので、帰郷、墓参など殆どしていませんでした。

自身も頻繁に墓参しなかった父はあまりこだわりがなかったのでしょうかね?「俺は墓なんか作らないで散骨してくれ」と生前から言っていました。

そもそも、国際結婚をすると人生の選択肢が多いです。義父母が来日して暮らすかも。生活の拠点が中国に移るかも。いっそ、全然関係ない土地に移住するかも。そう考えると、申し訳ないですが、先祖の墓を守っていく、というのはハードル高いんですよね。人生が不確定要素だらけなのはみんな変わらないんですけど。

その辺のことを見越してなのか、「墓はいらない」発言ですよ。甲斐性なしの息子にそうした期待は酷だと思ったのもあるのかな?

ともあれ、そうした意向もあって、ヤンメイ家はお墓がありません。業者に頼んで粉骨してもらい、父の縁の山中に撒いてしまいました。キレイさっぱり、それでおしまいです。墓参の義務は当然ありません。

これは、次世代にも繋がることなんですよ。ヤンメイ家は目下、娘1人の家庭ですから、墓参の義務は当然娘に引き継がれるわけで。仕事や結婚など、ますますどこで暮らすのか読みづらい世の中ですからね。そうした責任はない方がいいかな、というのも墓に固執しなかった理由です。

まぁ、旧家名家ではこうはいかないでしょう。そうした緩さは国際結婚を成立させる要因なんでしょうね。

墓なしの供養

さて、墓なしのヤンメイ。手を合わせたい時には実家の仏壇に行きます。でも、自宅とか職場とか、思い付いた時にはその場で手を合わせることも。一応、散骨場所というのがあるにはあるのですが。自然に還っていった、みたいな気分なので。世の中の至る所で手を合わせていいのかな、と。ここもゆるい気持ちでいます。

とはいえ、人の心は変わるもの。自分があの世に近付く年齢になるにつれ、やっぱり分かりやすく供養をするシンボルが欲しい、という気持ちになるかも知れませんが。その時はその時で。

ちなみに、現在ヤンメイの家には仏壇もありません。実家にあるのみ。妻も嫌がるし、多分今後も作らないでしょうね。

だって、多分、順当にいくとヤンメイが先立つ訳です。すると、残された外国人妻にお仏壇の始末って、ハードル高いですよ。まぁ、妻はそのまま手を合わせ続けてくれたとして。次世代には必ず移転(?)か処分をしなきゃいけなくなります。なんとかやってくれるだろう?と、この国の政治家みたいな無責任な先送りはしたくないですからね。

そんな訳でヤンメイ家はお墓も仏壇もありません。ただ、もう少し大きくなったら、亡き祖父の話とか、自分のルーツの話はちゃんときかせたいと思っています。

 

そんな国際結婚家庭のお墓問題の一例でした。

しかし、昔みたいに兄弟が多いと墓参りの負担も分担出来たのでしょうが。一人っ子だと確実にその子が担当しますからね。少子化は墓参の習慣そのものが風化していく一因かも知れません。