ウチのカミさん中国人 ~毎日が異文化~

国際結婚したい人の夢を壊さないといいな。国際結婚の現実、いいとこ悪いとこ盲点、みんなお話しします。

残さずなんでも食べましょうはローカルルールだという話

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ヤンメイは「完食派」です。食べ物を残さないように教育され、基本的にはそれを守って暮らしています。実家の食卓でもそうでしたし、給食でもそんなスタンスだったと思います。

でも、これって別にグローバルスタンダードではないんですよね。っていうか、グローバルスタンダードってあるのかな?という気が最近しています。少なくとも、文化のあり方については基準を作るのって難しいよな、と。

今回は、子育てをしていて気付いた、「食べ物残さない教」についてのお話とか。

食べ残さない教育

そんな訳で、ヤンメイは幼少期より「食べ物を残すんじゃない!」という教育を受けて育ちました。学校給食でも残さず食べることが推奨されていたので、これはヤンメイの実家だけの価値観ではなく、あの時代の日本ではポピュラーなものだったのかと思います。

思い返すと、給食の時など基本的には「残す」という選択肢はなく、食べ終わらないと昼休みの掃除の時間まで机と一緒に後ろに下げられて食べ(眺め)続けていた記憶があります。

さすがに今の世の中はアレルギーの問題もありますし、そこまで完食への圧は強くないようですが、ヤンメイ娘の学校でも完食を奨励する空気はあるみたいですね。

食べ残しはいけないの?

ヤンメイの場合、食べ残しは好き嫌いが原因でした。単純に、嫌いな物を食べられない、食べたくないから残すわけです。

なので、成長期の絶頂空腹期を経て、好き嫌いより満腹感を優先するようになった結果、食べられないものが激減しました。

さらに国際結婚を経て、食べられないものはほぼない、という状態になったので、どこで何が出ても食べ物に関して困ることはまずないと思われます。幸い、食物アレルギーも今のところないですしね。

ただ、なんでも好き嫌いなく残さず食べよう、というのは極端に言うと、「食べ物の好き嫌い」を許さない、認めない、という全体主義的スタンス、とも言えます。

今、冷静かつロジカルに考えてみると、そこまで残さないことにこだわる合理的理由は見出せません。もちろん、食べ物を大事に、とかフードロスをなくすとかも大切なことですが。そういった理屈ではなく、「残さないことが大事」という思考停止的な刷り込みが結構ヤンメイには深く根付いています。

そもそも、結構がっつり食べちゃう方なので、わざわざ「残さない」ようにしている意識もないのですが、子供に残さず食べるように教育している自分に気付いてハッとしました。

食べ残しオッケー文化

ヤンメイの妻は「食べ残し」についてはほとんど気にしません。食べられないなら残せばよい、後で食べればよい、と思っています。

当然、「残さないように」と教育することもありません。

好き嫌いについては「一度は口に入れてみろ」というスタンスですが、それで嫌なら無理強いはしません。嫌いな食べ物は少ない方が良い、とは考えているようですが、「食べ物の好き嫌い」自体を否定はしません。

これは中国でもポピュラーな考えのようで、家庭でも学校でも嫌いなものを無理に食べるように、という教育はなかった、と言っています。

そもそも、ヤンメイ妻と義母も好き嫌いが多く、調理をする上で使えない食材が多くて面倒なんだけど、食べられないものは仕方ないよなぁ、食べられる物、好きな物を食べればよい、というスタンスです。

ヤンメイ妻は結婚後、やはり好き嫌いが激減して何でも食べられるようになりましたが、それはまた別の話。

「なんでも残さず食べなさい」と言わない妻をみて、「なんで残さず食べなきゃいけないと思っていたのかな?」と憑き物が落ちたような気持ちになりました。

日本では好き嫌いなくなんでも食べる人は躾が良い、と目されることもあるかも知れません。ですが、そんな価値観の国ばかりではないですよね。少なくとも、中国ではそういう考えはないみたいです。

また、他人に食卓に招かれた場合になんでも食べられた方が良い、という理屈を言われた記憶もありますが。むしろ、おもてなしをするならば嫌いなものを出さない方がおもてなしの心なんじゃないの?と。

やっぱり、食べ残しダメ!は極東のローカルルールなのかも。

余談色々

というのも、子供をアメリカに留学にやっている友人から聞いたのですが、やはり「No食べ残し」ルールで育った子供がしばらく食事で苦労したようです。

ほら、アメリカだと食事の量が割と多めじゃないですか。残さないのが良い、と言われて育ってきたお子さんは、なかなかルールの切り替えがうまくいかずに無理に完食しては胃もたれや消化不良に苦しむ期間が長かったのだとか。

友人にしてみれば、「あなたの適量を把握して出していた親の料理と、量を食べる人の平均に合わせて出されるアメリカの店の料理を、同じように食べるなんてバ○なんじゃないの」との言い分ですが。まぁ、染み付いた習慣を変えるのは難しかったんでしょうね。

同様に完食ルールで育った知人で、年齢と共に消化力が落ちてきたのに完食を続けてきた人が、行きつけの整体の先生に「全然消化出来てないですよ。ゴミ箱に捨てるか身体に捨てるのか差なので、ゴミ箱に捨てた方が身体は楽ですよ」と言われて発想の転換が出来たってケースもあります。

やはり幼少期からの刷り込みって、マインドコントロール並に浸透しているのかも知れません。

完食ルールがある一方、「嫌々食べても栄養にならない」っていうのも聞いたことがあります。これって、医学的にはあり得そうだと思うのです。

というのも、やはり嫌なものを無理矢理に食べるとか適量を超えて無理に食べるというのは、胃腸にも負担だし、精神的にもストレスだと思うのですが。

ストレス下では交感神経がより働くので、緊張が強く血流は悪くなります。血流が悪くなれば消化機能も落ちるわけで、そうするとせっかく栄養を摂っても身体への吸収効率は悪くなる=栄養にならない、のかなぁ、と。はい、全部机上の空論ですけど。

 

ともあれ、未だヤンメイには呪縛が残っていますが、ヤンメイ家では「食べ物を残してはいけない」というルールはありません。国際結婚家庭ではこうしたルールの違いに遭遇して、自分のルールがローカルルールだった気付く人、多いんじゃないかなぁ。どうでしょう?